CEOとしての意思決定

イベントレポート 

中山讓治氏 | 第一三共株式会社 常勤顧問

特別回 GCAクラブ(2021年11月開催)ダイジェスト

GCAが経営統合のお手伝いをした第一三共様ですが、2008年に買収したインド・ランバクシー社において大きな品質問題に遭遇し、最終的には同社を売却するに至りました。今回は特別回として、当時のCEOである中山様をお招きして、その大きな決断の背景を中心に、これまでの様々な意思決定を振り返っていただきました。ご自身の若い時代からのご経験も「私の履歴書」さながらにお話しいただき、そこから何を学び、気付き、指針としてきたのかを惜しみなくご披露くださいました。

28歳の新入社員、洋酒の営業マンになる

大学院を出るころは就職環境に厳しさがあり、米国でMBAを取得してからサントリーに就職しました。ただ、営業向きでないことを早々に悟り、財務部へ移りました。時の金融自由化を背景に、MBAの学びを活かした施策が面白いように当たりました。敬愛できる上司と出会い、時代変化を先取りすることの重要性を学び、経営企画部へとキャリアを展開させました。後に経営環境が厳しくなる中で、全社の革新運動に携わり、事業ポートフォリオ見直しの提案にまで踏み込みました。傍らに置いたのは江戸の名君・上杉鷹山の書、一人一人の心に火をつけないと変革は成功しないことを実践知として学びました。

1996年、医薬事業部への異動は、晴天の霹靂でした。計数だけで事業をわかったかのように話していたからだと、今では自嘲の思いです。皆が話している単語がわからず、まるで火星に来たような気持ちでした。ここは自社MRを持っていなかったため、研究開発で稼げるよう強化策を打ち、単年度赤字脱却を目標に邁進しました。しかし、経営状況は悪化し、様々な協議を経て、第一製薬への売却が決断されました。そこで自分の身の処し方を曖昧にしていたことを「部下を説得したお前が行かないのはおかしい」と鋭く突かれ、行く末を見届けることが義務であろうと腹を括りました。新会社は300名の小さな所帯でしたが、一国一城の主として、従業員や株主(親会社)に対する責任に改めて身が引き締まりました。

3年後、第一製薬への異動内示が出ました。皮肉にも子会社売却の担当でしたが、自らの経験を活かし、売却される側の気持ちを汲みながら取り組めるというやり甲斐もありました。その後、2007年に第一製薬と三共が事業統合し、欧米の子会社の管理を任されました。ここで骨を埋めようと考えていた矢先、まさかの次期社長の内示を受けました。桁違いの責任の重さに加え、傍流出身の無名のリーダーに誰がついてきてくるのかと不安が襲ってきましたが、意を決し、全ての支店を2ヵ月で廻り対話を重ね、2010年にCEOに就任しました。

Nakayama01

医薬品業界ってどんなところ?

ところで、医薬品は特殊な業界ですので、少し整理してご説明します。

1970年代にバイオ医薬品の時代が幕開けました。世界の医薬品の市場規模は約138兆円、米国が世界の40%を占めている大海原です。日本は7%程度で、成長率も低調です。新薬はイノベーションの競争、ジェネリックは生産力とコストの競争、OTCはマーケティングで勝負が決まります。医薬品でもそれぞれ競争のルールが全く違うビジネスなんです。今日は新薬市場での事業経営についてお話します。

新薬開発には数百億円規模の莫大な投資が必要ですが、成功確率が極めて低く、リスクの高いビジネスです。成功しても特許期間が切れるとジェネリックに取って代わられるため、継続的な成長のためには、絶え間なく新薬を世に出していく必要があります。

上昇気流からの急降下~品質問題の勃発

統合前の第一製薬と三共は、それぞれ世界に通用する新薬を生み出していましたが、グローバルな開発・販売力を持っていなかったため、成長が頭打ちになっていました。そこで更なる飛躍のため、統合を決断し、高い理想を掲げました。

2007年の事業統合から1年後、インドのジェネリックメーカー・ランバクシー社を買収しました。「新薬とジェネリック」、「先進国と新興国」とを組み合わせたスタイルは「ハイブリッドビジネスモデル」として、投資家から高い評価を受けました。FTF(米国内で特許切れ後の半年間、独占的にジェネリック医薬品を販売する権利)の同時獲得により大きなキャッシュインが期待され、まさに本買収は華々しいスタートを切ったかに見えました。

しかし、わずか2ヵ月後、ランバクシーの品質管理問題が勃発しました。

FDA(米国食品医薬品局)からの問題指摘により対米輸出は禁止され、輸出再開時期も不明のまま売上の3割を占める米国市場を失ったことで、ランバクシーの株価は66%下落。のれんの償却費用を特損計上したことにより、当期純利益は赤字に転落しました。

Nakayama03

強い事業体を作るための選択、それがランバクシーの売却でした

斯様な状況下でCEOに就任した私には、「新薬開発を軸にグループの成長の方向性を定めること」、そして「ランバクシーの経営強化とシナジーの実現」という2つの経営課題が課せられました。

供給ラインを維持しつつランバクシーの立て直しに着手したものの、更なる禁輸措置の発動により主要生産拠点から米国への供給の道が完全に途絶えました。回復プロセスには10年以上を費やす可能性があることに加え、ジェネリック市場は生産キャパシティの争いなのでM&Aによる規模拡大投資が不可欠です。新薬にも大幅な追加投資が必要な状況で、同時進行は相当難しいと考えました。そこで、経営資源を新薬開発に優先させ、ランバクシーを売却する検討を始めました。

ランバクシーは「インドの宝石」と呼ばれ、インド産業界の誇りでしたので、売却に際して社外取締役の強い抵抗がありました。ここに中立的な立場で議論を整理してくれたのがGCAの渡辺さんです。最終的に2014年にサン・ファーマシューティカル・インダストリーズがランバクシーを吸収合併する形で実質第一三共グループから離れ、その一年後、第一三共は吸収合併に際して受け取ったサン・ファーマ株を売却する形でランバクシーの売却を完了させました。此処に我々は、ハイブリッドモデルから新薬開発へ集中・回帰することを宣言したのです。

苦難を乗り換え、第一三共は真のOne Teamへ

我々はどの領域の新薬を目指すべきなのかー。最大の市場である米国で成果を上げるため、開発目標を薬効に絞り、サイエンスを駆使してスピード開発ができる『がん領域』に出ることを決めました。この大きな方向転換のために、中長期ビジョンの策定、研究開発体制の改組、新たなリーダーの招聘等、早期承認を目指した動きを加速させ、私はCEOとしてヒト・モノ・金のすべてを総動員したTransformationを牽引しました。

そしてついに、乳がんの治験薬の供給を開始しました。これは強力な抗がん剤を、リンカーと呼ばれるひもで抗体につなぎ、がん細胞を攻撃するという高性能標的ミサイル型の画期的な新薬で、世界中のがん患者に希望を与えるものです。三共の抗体技術と、第一製薬が開発した抗がん剤を、両社出身の研究者が持ち寄った上で、リンカーを協力開発して完成させたものです。患者さんの役に立ちたいという強い想いを礎に、第一製薬と三共が真のOne Teamとなって生み出した果実だと言えます。そして2019年12月、この新薬は史上最短に近いスピードで承認されました。

Nakayama02

CEOとしての指針と学び(抄録)

~The management is abstraction.~

出来事の本質を見極める力を高めることが重要で、その力こそがマネジメントの力です。また、事象をよく見ていくと、普遍的な課題と特異的な課題に切り分けられ、前者には普遍的な答えがありますが、後者に対しては自分で考えるしかありません。組織のトップとして意思決定するためには、日頃から長期的なトレンド、最も大事な基調的な変化を捉え、自分なりに検証し、整理する力が必要です。

「チャンスは貯金できない」。アサヒビール中興の祖、樋口廣太郎さんの、この言葉を大事にしています。次はないと覚悟を決めるためには、事前のシミュレーションをして準備することが肝要です。変わり目はチャンスだと捉えられるように、自分の見方を常からトレーニングしていくことも大事です。

健康と時間、これが経営者にとって最も大事です。唯一自分で管理できる資源で、この管理如何で経営者として成し遂げられることは変わるのではないでしょうか。また、時間の使い方として、どうしても短期の課題に流されますが、意識して長期的な課題に用いる時間を確保することが極めて大事だと思っています。わたしは手術のリハビリの散歩で思いがけずその時間を確保することができ、いま振り返れば、重要な意思決定や長期的な課題は散歩をしながら考えていました。

中山様は、ご自身がリーダーであったサントリーの医薬事業の第一製薬への売却を皮切りに、その後の数々の事業売却に関与され、担当したM&Aのほとんどが買収ではなく売却という珍しい経営者です。しかし、欧米での名経営者は、売却でチャンスを掴んできた方が多いことを考えると、M&Aを通じて経営力を高めるポイントは、実は買収ではなく売却なのかもしれません。経営の荒波、時に逆風の中をジグザグと航行を続けながらも、強い事業体を作り患者様を救うという灯台を見失うことなく、力強く帆を進めてこられた中山様。その真摯な振り返りが溢れる60分、経営に携わる全ての皆さまに、ぜひご覧いただきたい動画です。