Brexitとコロナの試練を乗り越えるか?これからの大英帝国の行方|欧州M&Aブログ(第28回)
私事となりますが、この度8年間のフランクフルト・ロンドン駐在を終えて日本に帰任致しました。今回のブログは日本(隔離施設)よりお届けする最初のブログとなります。
隔離施設に輸送されるバスからぼんやりと外を眺めるに、マスク着用とはいえ街には多くの人が行き交い、英国とは状況の深刻さが全く異なると感じました。先日オフィス整理のため一年ぶりにロンドンオフィスに行ったのですが、昨年11月頭からのロックダウンを受け、時間が止まったかのように多くの店でクリスマス商戦のディスプレイがそのままとなっていました。経済よりもコロナ抑え込みが優先されるとはいえ、「このままでは国がもたないな」と思いました。
英国はコロナで最も大きなダメージを受けた国のひとつですが、重ねてBrexitの影響も見え始め、2020年は過去300年で最も景気の悪い年となりました。昨年の第四四半期(4Q:10月~12月)は1%プラス成長を記録してトンネルを抜け出しつつあるように見えますが、それでもこの4Q実績はパンデミック前の水準と比べて7.8%も低い水準で、この乖離度合いはドイツの2倍、米国の3倍も大きい水準です(あの状況の米国が経済規模の落ち込みを抑えているのはさすがですが)。
英国の惨状はコロナの状況が他国より深刻であり、それに伴ってロックダウンが長期化していることに起因します。
まさに荒波にもまれている状況です。しかし、このような状況にあっても大英帝国(なぜかいつもこの呼称を使いたくなります)の強さを感じる瞬間が多々ありました。個人的には“意外にBrexitした英国はブレイクするんじゃないか?“という期待も持っていますが、今回はBrexit後の英国の行方について、日本との比較も入れながら考えてみたいと思います。
1. 結局のところBrexitは英国の希望通りとなったか?
Brexit完了といっても、実際どうなったかを理解するのは容易ではありません。昨年大晦日の日にボリス・ジョンソン首相は「take back control:主権を取り戻した」と 声高らかに宣言しましたが、最終的には結構EUに押し込まれたなと思います。なぜならば、今回の合意は結局のところ「モノに関するは関税ゼロ、サービスについてはNO DEAL」だからです。
出典:https://www.newsweek.com/
Brexitに関する記事を目にした方々のなかには「いや、結局英国はEUと関税フリーで合意できたんだから、当初希望していた“いいとこ取り”ができたんじゃない?」と思われる方もいらっしゃると思います。私も当初は意外にいい形になったなと思いました。英国で仕事をするからにはBrexitを正確に理解したかったのですが、何を読んでもすっきりしません。なんでこんな分かりにくいんだということでそのモヤモヤの根っこを探したのですが、EUが呪文のように言い続けた「離脱したうえでいいとこ取り(=単一市場へのアクセス)は認めない」というこの“単一市場概念”が分かりにくいということに気づきました。私なりに単一市場に関するモヤモヤポイントをまとめてみましたので、皆様の理解整理の一助となれば幸いです。
(Q1)Brexitと英EU通商協定の関係は?
Brexitはまさに英国がEUから離脱することであり、2020年1月31日に完了。その後英国とEU間の新たな貿易のルールを決めるための移行期間に突入し、移行期間終了直前の2020年12月31日に英EU通商協定(EU-UK Trade and Cooperation Agreement)が合意に至る。「関税フリー、互いの輸出に数量制限(割り当て制度)はない」といった話はBrexitというより通商協定の内容の話
(Q2)関税フリーということは、結局英国はEUの関税同盟に入ったの?
入っていない。メイ首相の時代にバックストップ案として関税同盟に入るという話が上がったが、今回はあくまで通商協定の内容として関税フリーが決められたわけで、関税同盟に入ったわけではない。ちなみに関税同盟とは、メンバー間の貿易において関税がフリーになるということのみならず、同盟メンバー外との貿易における関税料率も同盟レベルで決められるという、関税面で同盟国グループをひとつの国のように扱うもの。例えば、米国とEUとの関税については、ドイツやフランスが個別に税率設定するのではなく、第三国vs関税同盟として一律に決められる。
また重要な点として、徴収した関税は個別の国に入るわけではなく同盟に帰属する。例えばイタリアが貿易によって徴収した関税はイタリアの国庫に入るわけではなく、EUのものになる。これは大きなEU固有の収入源であり、予算のうち14%を占める
(Q3)通商協定で関税フリーを達成したので、単一市場から追い出されても大した影響はないのでは?
単一市場と関税同盟の関係が分かりにくいが、関税同盟は単一市場の概念に内包されるもの。単一市場とはモノ、人、カネ(資本)、サービスにおいてその障壁を取り払う概念。一方関税同盟の対象はモノのみ
トランプが関税を用いて貿易戦争を仕掛けたことから殊更関税がハイライトされるが(そして物品の話だから分かりやすいが)、実はビジネスにおいては安全基準、パッケージ基準そして労務基準などの「非関税障壁」のほうが重要であり、関税以上に大きな足枷となる。例えばカネ(資本)について、金融業は欧州単一パスポート制度によってEU各国で事業をする際にいちいち各国で許可を取得する必要がない。
こういったビジネスの障害となる非関税障壁をなくした単一市場概念はとてもユニークであり、世界広しといえこれができているのはEUだけ。今後英国はこの非関税障壁に悩まされることになる
(Q4)非関税障壁ってそこまで大きな話なの?
非関税障壁とは要するにお役所手続や輸出入に掛かる関税以外のコスト、許認可の再取得など、「関税がかからなくてもその他コストを考えれば割が合わないよね」と思わせる、時間・コストの面で大きな障壁のこと
例えば時間面について、鮮度が重要な魚の輸出において手続きに時間がかかりすぎて魚が腐っては意味がない(実際今それが問題になっている)。各国で許認可の再取得が求められるようであれば、取得まで多くの時間を要する。コスト面についても、輸出入に関して取扱手数料・保管手数料など関税以外のコストが利益を食いつぶすほど大きい場合には、輸出のメリットはない。更にはいえば、時間・コスト面のダメージが許容範囲であっても、結局は事務能力が乏しい個人・中小企業はリソース的に煩雑な手続きに対応できない
(Q5)サービス業がNO DEALだとかなり困るの?
関税ゼロという結果は別にEUが英国に同情してそうしてあげたわけではない。物品の貿易について関税ゼロにすることはEU側に大きなメリットがあったから。例えば英国で生産される自動車の実に54%はEUに輸出され(総数の81%が国外に輸出されている)、英国内市場の90%は輸入車が占める。つまり、英国とEUは相互に数多くの自動車を売りあっている。関税フリーとすることは相互に大きなメリットがある。
ここで、英国はドイツのように「自分の国で作って売る」という産業構造になっていない。サービスが経済の78%を占め、サービス輸出(運送サービス、金融サービス、通信サービス、流通サービスを第三国で提供)の40%がEU向けとなっている。サービス輸出は物品じゃないので関税の範囲外の話であり、特に非関税障壁に直面する傾向が強い。サービス輸出に大きく依存する産業構造を持つ英国にとって、サービス分野がNO DEALとなったことは極めて大きい
2. 大英帝国の意地を見ることができるか?
コロナという未曽有の危機への各国の対応に関するニュースは、各国の政治力そして地力を垣間見せてくれます。例えば、メルケル首相の演説やオーストラリア・ニュージーランドの徹底した封じ込め策、ボリス・ジョンソン首相の毎日のコロナブリーフィングからは国のメッセージを強く感じることができます。
出典:https://www.bbc.com/
それに比べると、私が全部フォローしていないからなのかもしれませんが、日本は強力なトップダウンというよりは、個人・企業が独自に考え、声を上げることで国を動かしながら危機を乗り越えようとしているようにみえます。国によるトップダウンがいいのか、個人・企業からのボトムアップがいいのかは一様に決められるものではないですが、危機を乗り越えるとき、また大きな物事を決めるとき(まさにM&Aもそうですね!)にはトップダウンの意思決定は重要かと思います。
このように書くと、日本の政治の特殊性は、欧米のトップダウンに対して根回しに代表されるボトムアップアプローチという日本企業の意思決定スタイルの特殊性に通じるものがあるように思います。殿様がいた時代には日本もきっとトップダウンだったはずで、何を契機に日本が今のようなスタイルになったのかは興味深いテーマです。
さて英国について、英国はまさに国が国民の向くべき方向性をどんどん決めています。初動を間違ったことによりコロナ抑え込みに失敗した英国の政治を殊更に称賛するつもりはないのですが、そのコロナ対応からは大英帝国の底力を感じることができました。
・エリザベス2世による適時・適切なメッセージ発信
・世界トップレベルの科学技術をワクチン開発でも発揮 (Oxford-AstraZenecaワクチン)
・国営医療サービス(NHS:National Health Service)をフル活用したワクチン接種のロールアウト作戦
・自宅待機する学生に対する迅速なリモートラーニング対応
・雇用維持する企業に対する異例の給与補助策等の大胆な経済対策の数々
・毎日のように首相が国民に向けてクリアな状況・対策に関する説明を実施
Brexitについても、国のドライブを強く感じます。Brexit直後の今年1月の1日当たり株式売買高について、ロンドンは欧州最大の株式取引拠点としての地位をアムステルダムに明け渡したことがニュースとなりましたが(これについては法の安定性や労働市場の柔軟性、人材の豊富さや流動性、他の金融センターとのコネクティビティなど総合力で見ればロンドンの国際金融センターとしてのポテンシャルはアムステルダム、フランクフルト、パリなどの大陸欧州の都市に比べ圧倒的であり今後もその地位は揺るがないと思いますが)、こういったマイナス面に関するニュースは毎日のように目にします。Brexitは経済へのマイナスを顧みず主権を取り戻すというノスタルジーを重視した結果と言われますが、マイナスを挽回すべく、むしろ大きなプラスを生み出すべく、身軽になった英国が矢継ぎ早に打ち出す戦略には逞しさを感じます。
・EUとの貿易協定を締結
・EUが貿易協定を締結している12か国のうち日本を含む主要国8か国とは既に個別に締結済み(残りも交渉中)
・バイデン勝利により米国とは距離ができたものの、CPTPP(環太平洋パートナーシップ協定)への参加検討をスタートするなどアジアを中心にその他有力市場に対して積極的にアプローチ
・グリーン、ライフサイエンス、デジタル、フィンテック分野を戦略分野に定め集中投資
・海外から英国への投資誘致を促進するための新組織の立ち上げ
国がどんどんドライブするといっても、国民がそれを受け入れないことには機能しません。これに関するエピソードを一つ披露させて頂くに、まだBrexit交渉の行方が見えていない頃、英国人の同僚に「なんでもっとBrexitの行方を心配しないの?」と聞いたことがありました。私にはこんな影響の大きい出来事に皆がとても無関心に見えたのです。そのときの同僚は「それをちゃんとまとめてくるのが政府・議員の仕事だ」と答えたのですが、大きな方針は国がドライブするものであり、あとはそれを信頼するのみというマインドセットを国民が持っていることがすごく新鮮でした。うまく表現できないのですが、国、つまりは政治を信じてついていくことができるというのは、なんだか少し羨ましい感じがしました。
身軽になった大英帝国はこれからもチャレンジを続け、新しいビジネスモデルをどんどん生み出していくと思います。ここでのポイントは、生み出されるのが「ビジネスモデル」だという点です。M&Aの目的として技術、顧客、製造拠点、ブランド等の獲得が挙げられますが、ポストコロナでは、ニューノーマルに対応した「ビジネスモデル」を獲得するためのM&Aが主流になる可能性もあります。世界トップレベルのデータ流通量を誇る英国がコロナ・Brexitを契機に魅力的なビジネスモデルを次々と生み出す・・・ これからの英国は要注目です!
最後に、冒頭で申し上げたように、今月から日本勤務となります。皆様との直接会話させて頂く機会も増えるかと思いますので、是非その際に皆様から気になるトピックを教えて頂き、それをブログに盛り込んでいくことができればと思います。何かございましたら、下記連絡先に気楽にご連絡頂戴できればと存じます。
記事監修
この記事を監修している弊社担当者です。